■HONDA NR750の場合■
これはホンダが世界に誇る技術、「楕円ピストン」を採用したHONDA NR750の作業例です。
このNRは他店でカスタム中、分解して組めなくなり10年間ほどバラバラで放置され、困ったオーナー様によりダンボール箱に詰めた状態で持ち込まれました。
「理想の形にしたい」と言うオーナー様の強いご希望により例外的にレ-ス部品を使用したカスタムを施しました。
バラバラ状態で入庫。車体は何とか転がるように仮組みしました。
オートバイ1台バラバラにすると、とんでもない量になります。コンロッドとハンドルが同じ箱に・・・・・クラッチも見当たりません。 前途多難です。
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全体の形を知らないので、紛失部品が把握できません。エンジンはどれでもだいたい同じなのですが、車体は車種で大きく異なり、特にこのNRはP/Lを見ても?です。 急がば廻れ、まずは一度形にします。と言うわけで特殊工具作りからです。(純正は高価な上、納期が未定)さすが?NRは専用工具が多く、仮組みもままなりません。 美しく表面処理された部品が多いので、非常に気を遣います。
だいたいのメドをつけた後、まずはエンジンから作業に入ります。
加工前
加工後
NRのクランクです。コンロッドを8本も持つため、V型としては非常に幅広でジャーナル数も5箇所あります。同じV4のRC45が3箇所なのと比べてもフリクションロスに関してはかなり不利で、直4と同程度となります。クランク形状は超高回転エンジンらしく、最近ではあまり見ないフラマスの小さな形状です。
曲がり、捩れを測定、修正した後(問題ありませんでした)加工に入ります。
これはクランクシャフトのメタル摺動部、「ピン」と呼ばれる部分の画像です。この部分を特殊研磨し、真円度を修正しながら面粗度を向上させることで摺動抵抗の低減と潤滑性の向上を図ります。同時にオイル穴も面取りし、オイル供給の安定化と、ピン穴からの破断を予防します。
このような加工を経たクランクはダイナミックバランスを確認、修正しますが、V型の場合この作業にはコンロッド大端側の分布荷重が必要なので事前に測定を行います。
クランク完成後、メタル選定、オイルクリアランス調整のためピン径を1/1000mm単位で測定しておきます。
■クランクシャフト■
■コンロッド■
NRのコンロッドはチタン製で研磨厳禁です。鉄製でも浸炭層を侵すため基本的に研磨はしません。このため、重量合わせは選定方式で行います。単体重量のみでなく、小端部の往復重量、大端部の慣性重量を重量分布から割り出し、前述のクランクバランス時の冶具重量とします。また重量選定はピストンと同時に行い、気筒間はもちろん、共有ピン間でも最善のバランスを選定します。
大端メタルです。約3000kmしか走行しておりませんが意外に痛んでおり、メタル流れが気になります。メタル幅が狭いので、面圧が上がり油膜の確保が難しいのです。ピン径を小さく、メタル幅を狭くするのはフリクション低下に非常に効果的で、高回転になればなるほど有効ですが耐久性は劣る傾向にあります。また、長期間放置したエンジンを急に始動し負荷をかけると油圧が間に合わず、このようにメタルが痛む場合もあります。オイルフィルタ交換時にオイルを充填しないのも同様です。前述のピン研磨はこのような場合に効果的です。
このような作業を8本全てについて行います。NRのコンロッドはチタン製に加え、1気筒を2本で構成していることもあり単体重量は非常に軽量ですが、気筒あたりの重量は同じチタン製のRC45に比べ重くなります。
コンロッドだけでなく、「バラした部品は元の場所に組む」が基本ですが、精密に測定した上でメタル交換しますのでこの限りではありません。
当社は以前、HRCワークスRC45/RVFで全日本スーパーバイク選手権に参戦しておりました。同じV4で、750cc。楕円と真円、どのように違うのか楽しみです。
■ピストン■
NRの最もNRたる部品、楕円ピストンです。非常に複雑な、直線部を持たない楕円形状です。思いのほか軽量で、トップには耐ノック性を高めるためニッケルメッキを、スカートには摺動抵抗低減のためフッ素?コーティングを施してあります。しかし、走行3000kmにしてはオイルカーボンの付着が激しく、後述する楕円ならではの苦労がうかがえます。
メンテ後のピストンです。付着したカーボンを取り除き、重量、サイズを選定します。楕円は測定位置で寸法が大きく異なるので、測定には非常に手間がかかります。
楕円を可能にしたピストンリング。合口は横、オイルリングはソリッドタイプです。RC45に比べ厚みがあり張力の強い設計で、楕円を市販するためのオイル消費対策とブローバイ対策が大変だったことが想像できます。NR500と異なり、直線部分を持たない複雑な楕円形状を採用したのもリング張力確保のためでしょう。生産性のためと聞いていましたが、現物を見るとリングシールが理由のような気がします。この形状、合口、張力の設計にはたいへん苦労されたと思います。しかし、やはりオイル消費は真円よりも悪く、前述のオイルカーボンの原因となっています。走行3000kmで全周あたりが付いていない(ナラシがきいていない)のも要因ですが、真円の場合500kmも走れば全周あたりしますので、やはり楕円形状は難しいのです。理論上は可能でも生産技術が追いつかないのでしょうね。リング張力をあげれば改善されますが、摺動抵抗が増加し出力は低下します。
今回、ピストンリングは交換しませんでした。距離が短いのも理由ですが、通常の使用であれば固着や変形、焼き付きなどの場合を除きリング交換での性能回復はあまり望めません。むしろナラシがきくまで(性能回復まで)出力は低下し、オイル消費は増加する傾向にあります。
■シリンダー■
シリンダも直線部分を持たない複雑な楕円形状のメッキシリンダです。ホンダのV4エンジンでは珍しく、1気筒単位で構成されておりけっこうな重量があります。
交換コストを考慮したというより、生産設備の技術的な問題でこうなったのでしょう。このようなモジュールタイプのシリンダはメンテナンス性を重視する産業機械などではよく見られますが、2輪車ではあまり見ません。生産コストも高くなりますし、剛性やウオーターラインの確保が難しく、コンパクト化が難しいためです。
写真ではわかりずらいですが、非常に複雑な研磨がなされています。
NRを市販する上で最も問題となったのはやはりこの部分なんでしょうね。
シリンダ壁のような仕上面のザラザラ具合を「面粗度」と呼びます。ある程度荒目の面粗度は初期なじみや潤滑に有効ですが、摺動抵抗が大きくなるため出力は低下します。逆にツルツルでも油膜の保持が難しく、また不具合があるのです。
NRの場合、生産技術の都合で荒目のような感じでしたので軽く加工しました。このように複雑な楕円をホーニングする設備など持ち合わせておりませんが、過去の経験が役に立ちます。
加工後、寸法を測定してクリアランスを管理します。
加工前
加工後
■メタル選定■
NRはジャーナル、コンロッドとも通常のV4よりも多いので、メタルの選定は性能に非常に影響します。幅広ケースの場合、加工公差や歪みによる変化が大きいのでなおさらです。
写真左約3000km使用。右新品。
距離のわりに痛みが目立ちます。
■クランクケース■
NRのクランクケースはホンダのV型と思えない大きさです。V8と解釈すれば非常にコンパクトですが、CBR1100XXを彷彿させる大きさです。
通常のV型と異なりケース本体にシリンダーを持たないため、実施項目は染料を使用したクラックチェック、バリ落し程度です。ポンピングロス低減加工は高回転エンジンということもあり、またブローバイも多そうなので効果的です。
単品の状態で、ケースの加工精度の測定を行います。これは後述するメタル選定時の時間短縮と、準備するメタルの無駄をはぶくため実施しています。
クランクケースは規定トルクで仮組みし応力を抜いた後、測定します。
強引、無理な測定はメタルを傷つけますし、中心部など測定子が見えない場所を感覚で測定しますので、慎重な作業が要求されます。
コンロッドも同様に測定します。同時に端組も測定、確認します。
締め付けトルクで測定値が変化しますので、適正な方法で締め付けた後、伸びを測定し確認します。コンロッドボルトは車種によって3回まで再使用可とか、このあたりの作業は車種により方法が異なるので注意が必要です。
NRのようなチタンロッドの場合、メタル交換はロッドとセットで行うのが基本ですが、(メタル背面とロッドがカジリ、接触面が荒れるため)使用距離が短く、背面の荒れが軽微だったためメタルのみ交換しました。
ケース測定部の拡大画像です。メタル凹部に見える複数の穴からオイルをクランクシャフト内部へ圧送します。この流れは遠心力に逆らって行われるため高い油圧が要求されます。
逆にクランク中心へ到達したオイルは遠心力によって簡単にコンロッド側へ押し出されます。
ドカティなどが採用している「サイド給油方式」は、クランクへの供給時に大きな油圧を必要としないためオイルポンプを小型化でき、駆動抵抗が低減するメリットがありますが、2ピン以上のクランクの場合はメリットがありません。NRもV4とはいえピンが4箇所あるので、オーソドックスなジャーナル給油でした。
■ケース廻りの組み立て■
ケース廻りの下準備が終わったところで、整理がつかないのでまず腰下を組み立てることにします。NRは構成部品が多く整理するのも大変です。
通常のV4と異なり、コンロッドを取り付けたピストンをシリンダに挿入してからケースへ収めます。ピストンの挿入にも専用工具が必要です。
アッパーケースにピストン、シリンダを収めた状態です。コンロッドの多さがV8エンジンを彷彿させます。
位置決めのノックピンは精度、剛性に優れる「ムク」タイプを使用します。締結すればノックピンにせん断荷重がかかる訳ではないのですが、位置決め精度の向上を期待しての変更です。
NRは1部のノックピンがオイルラインを兼ねているので、取り付けには注意が必要です。
選定したメタルを組み付け、加工済みクランクを載せた状態です。後はシール剤を適量塗布し、応力を残さないようにケースを合わせるだけですが、シール剤の塗布には注意が必要です。オイル漏れを嫌って厚塗りをするとメタル部やオイルラインに侵入するばかりか、せっかく調整したクリアランスを狂わせたり、ケース歪みの原因になったりします。
今回はオーナー様の強い要望により、ケースボルトは持ち込まれた、「チタン製」を使用しました。
組み立てられたケースは確認のため、各部の測定を行います。
今回はバラバラ状態での入庫でしたので、実は寸法確認のため加工前に一度組み立てて現状測定を実施しています。通常は分解時に測定を実施しています。
NRはカセットミッションを採用しているためケースの組み立ては非常にシンプルですが、ジャーナル数が多いため締結ボルトはRC45に比べ多く、チタンボルトということもあり適正な締結を実現するのは大変です。
■トランスミッション、クラッチ■
NRはカセットミッションを採用しているため、ミッション廻りの調整はRC45に比べ簡単です。
各ギアの歯厚は厚く、最近ではあまり見ないサイズです。走行3000kmということもあり、状態は非常に良いものでした。
シフトフィーリングを改善する調整のみ実施します。
写真の状態でほとんどの調整が行えます。調整にはさまざまなシムを使用します。
調整したトランスミッションASSYはケースに差し込むだけで組み付け完了です。
ケースやプレートのベアリング類は特殊な物へ交換します。
2輪車のベアリング類は工業用のものとサイズが同じでも、クリアランスや処理が専用のことが多々あります。
安価だからと社外品に交換するのは注意が必要です。
トランスミッション組み付け後、クラッチ廻りの組み付けを行いますが、NRはバックトルクリミッターを装備しているので、特殊なシムを使いオーナー様の好みにあわせて作動設定を変更します。
安易な設定の変更はクラッチの焼損に繋がるため、慎重に測定します。
トルクリミッターの調整に使用する特殊なシムです。個々のバラツキや設定を修正できるように、サイズ違いを多数用意しています。
些細な変更ですが、不具合のない範囲でオーナー様の好みに調整するのもオーバーホールの重要な作業です。
■シリンダーヘッドの加工■
走行約3000kmのシリンダヘッドです。
3000kmにしてはオイルカーボンの生成が激しく、前述した燃焼室へのオイル上がりが確認できます。
車両の性格上、酷使されたとは考えづらいので、やはり楕円ならではの症状と推測されます。
バルブです。吸気側にオイルカーボンが付着しています。
これはステムシールから吸い出されたオイルや、バルブに付着したガソリンの成分が熱により変質堆積したもので、燃焼室や排気バルブに堆積するカーボンよりも柔らかいのが特徴です。
堆積により吸気抵抗が増加したり、剥落した破片でシートやシリンダを攻撃したりします。長時間暖気する車両や、低速運転、アイドルダウンなどをする車両などに発生しやすい症状です。堆積が始まると加速度的に進行します。
通常はステムシールの劣化が原因ですが、長期の使用でバルブガイドが摩耗しているとステムシールを交換しても改善されません。
メンテ後のバルブです。フェースカットはもちろん、カーボンの付着を予防する様々な加工を実施します。
ポートも加工します。メインは機械加工時の修正ですが、鋳肌や鋳型の段差も修正しておきます。
排気側の鏡面加工は次回メンテ時のカーボン除去にメリットがありますが、吸気側の鏡面加工にメリットはありません。霧化を促進させるため、多少のザラツキを残した仕上げとします。
根拠のない大幅な形状変更は性能低下につながりますので、設計状態の再現を念頭に加工を実施します。
NRは小さなポートが32個もあるのでたいへんです。
加工完了後バルブガイドを打ち込み、シートカット、すりあわせを実施して完成です。
シートカットはダイヤモンドカッターで行い、3面とも加工します。またその形状はよりエアフローに優れた形状とします。
メンテ終了後のシリンダヘッドです。
特に鏡面加工する必要はないのですが、燃焼室廻りを加工した場合、加工痕を研磨するので鏡面に見えます。
NRは構成部品が小さく点数も多いのでたいへんですが、シリンダヘッド廻りの作業は性能回復に重要な項目ですので確実に作業を進めます。
燃焼室を見た感じ、同じV4のRC45と比べバルブ開口面積は大きく見えます。これを実現するため、楕円ピストンを採用したわけですね。
■シリンダーヘッド廻りの組み立て■
加工終了したシリンダヘッドをケースに組み付けます。今回はセラシギアの除去や圧縮、スキッシュクリアランスの変更も行いますので慎重に寸法測定します。
ギアトレインの場合、精密にバックラッシュの管理がなされているため加工できても5/100mm程度の加工量となり、その効果は微妙ですがオーナー様のご要望もあり、せっかくの機会ですので実施しました。
セラシギアの取り外しは駆動抵抗の低減に若干メリットはありますが、バックラッシュ調整を伴わない取り外しは騒音の発生やギアの磨耗へ発展しますので注意が必要です。
シリンダヘッドの締め付けは、より安定した角度法により行います。
ヘッドを載せてしまうともうピストンは見えません。次に楕円ピストンを見るのは何年後でしょうか・・・
セラシギアの取り外しにはバックラッシュの調整に加え、オイル穴の目クラも必要です。
ここの加工を忘れると開放されたオイル穴より油圧が逃げ、カムシャフトが焼きついたりします。
特にバックラッシュの調整は、精密な加工技術が必要となるうえ固体により加工量が異なり、また加工後は修正できませんので基本的には行うべきではありません。
バルブタイミングの調整前にタペットを調整します。NRは32本もバルブがあるので大変です。
調整用のシムは、純正で用意されているものより更に繊細な調整が可能な特殊品を使用します。
シムを研磨し微調整するのは表面処理層を侵すうえ、研磨痕からの破損を誘発しますし、平面度、面粗度を狂わせ正確なタペット値を実現できないばかりか、ステムエンドやリフタの磨耗を促進させますので行うべきではありません。
分度器を取り付け、バルブタイミングを測定、調整します。
NRはギアトレインのうえ、調整式ではないのでバルブタイミングの変更にはノウハウが必要です。フロント、リア各バンクについて行いますので非常に手間がかかりますが、エンジンを組み立てるうえで最も重要な調整ですので確実に作業を行います。
■補器類の組み立て■
エンジンに取り付けた測定器等を取り外し、カバーや補器類を組み立てます。
一見ただ組み付ければ良いようですが、エアーギャップの確認やセンター出し等、今までの工程を活かし、性能を十分に発揮させるための調整と確認を行います。
従来はオイルポンプの小型化やリリーフバルブの低圧化、メカシールの低抵抗化など性能向上に必要な加工が多々ありましたが、最近の車両はどれもぎりぎりの容量のものが採用されているため、不用意な加工はエンジン破損につながります。
オーナー様のご希望により、ACGローターボルトもチタン製に変更します。
ウオーターポンプの写真です。
NRは街乗りでは熱がこもりやすく、オーバーヒート気味のことが多いようです。
この車両もヒート対策として冷却促進剤を投入していたようですが、商品によっては防錆作用がないものや潤滑性に劣るものもあり、不適切な使用は写真のようなサビや結晶を生成しウオーターラインやラジエターの目詰りを誘発します。
■エンジン完成■
以上でエンジンは完成です。車体側が完成するまでの間、エンジンスタンドに載せて保管しておきます。
エンジンが完成し、部品の整理もついたので次は車体の作業に入ります。車体編はトップページ、「NR750車体」よりご覧ください。最後までご覧いただきありがとうございました。